第22回 日タイ友好 長政まつり



nagamasa festival 2007
ポスターをみる(pdf 772KB)

とき: 2007年10月7日() 11:00−18:00
(前日6日(土)午後5時から8時まで前夜祭(タイ屋台村)開催!)

ところ: 静岡浅間通り商店街 (静岡市葵区宮ヶ崎町・馬場町)

《 交 通 手 段 》
バス:JR静岡駅より「中町」(約10分・100円)下車   徒歩:JR静岡駅より約15分(1km)

開催場所「浅間通り」の地図はこちら

《 目 次 》

長政まつりとは

プログラム・出店予定

山田長政と浅間通り 

日タイ修交120周年

《同時開催》国際交流フェスティバル 

【主 催】
静岡浅間通り商店街振興組合    長政まつり実行委員会

《後 援》
タイ王国大使館 タイ王国大阪総領事館 タイ王国政府観光庁
静岡市・静岡商工会議所・静岡市商店会連盟・静岡浅間神社・NHK静岡放送局・静岡新聞社・SBS静岡放送・静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ・テレビ静岡・FM-Hi!・朝日新聞・読売新聞・毎日新聞・産経新聞・静岡県中部青年中央会・YMYA


◎日タイ友好 長政まつり とは
 いまから二十年ほど前の1986年、静岡の若者有志によるささやかな「まつり」が浅間通りで行われました。徳川家康が駿府城に在城していた頃にタイへ渡り、波乱の生涯を送った山田仁左衛門長政がこの浅間通りの出身であることにちなみ、イベントは「長政まつり」と命名されました。これが「第1回 長政まつり」です。
 その後、浅間通り商店街に引き継がれた「長政まつり」は、山田長政を記念顕彰するのみならず、日本とタイの交流の架け橋となった長政にならい、日タイの親睦を推進する「日・タイ友好」事業として、タイフードやタイ舞踊など、タイ文化の魅力を紹介してきました。
 2000年には商店街の新アーケードの完成と共に、念願であった山田長政公像の建立が実現しました。これを契機に山田長政を学問的に研究する会が地元に発足し、長政まつりは一過性のイベントから、地域独自の歴史文化や伝統を再発見する「学びの場」ともなりました。   
 昨年からは在京タイ王国大使館・大阪タイ王国総領事館の大々的な支援を受けて、「日・タイ友好 長政まつり」は地方都市の一商店街としては類例のない国際的なイベントへとますます発展・進化しているところです。

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◎プログラム・出店予定
 浅間通り全体(中町交差点から浅間神社までの約600mの区間)を使って、「山田長政戦艦図絵馬奉納行列」をはじめとする、さまざまなイベントが次々と繰り広げられます。
 また、日、タイ、さらに国際交流フェスティバル参加の各国から集まった、飲食・販売・展示等のコーナー・出店が通りを埋めつくします。

【うまく楽しむコツ】
●当日、会場にてプログラムを配布しています。これに、各イベントの時間・場所が書いてありますので、目的のイベントを確認して、合間に屋台や展示を楽しみましょう。
●浅間通りは、浅間神社側から中町に向かって、1番街→5番街の5つのブロックに分かれています。浅間神社側の1番街・2番街は「国際交流フェスティバル」、中町交差点寄りの3・4・5番街は「長政まつり」のゾーンになっています。

現時点(9月1日)での開催予定のイベント等は以下のとおりです。(今後変更等がある場合もあります。)

【イベント】
 ●山田長政戦艦図絵馬奉納行列

 ●秋のわくわく祭り協賛抽選会

 ●人形劇「山田長政」

 ●山田長政資料展示館

 ●トゥクトゥク(タイの3輪タクシー)展示

 ●こども広場(ミニ動物園・タイのおもちゃ体験コーナー・タイの衣装で写真をとろう)

 ●タイからのゲストとの記念撮影

 ●山田長政顕彰シンポジウム

 ●タイ大使館主催イベント
  ・ムエタイスペシャルマッチ
  ・タイ伝統舞踊
  ・タイ日修交120周年記念ブースの設置
  ・フルーツカービング(果物の飾り切り)の実演
  ・アユタヤの子供たちが描いた絵の展示

【出店予定】
 ●タイ料理屋台・雑貨店・マッサージ等の出店
 ●地元静岡の特産品・農産物の販売
 (このほか、同時開催の国際交流フェスティバルでもたくさんの展示や出店があります。) 

★もちろん、浅間通り商店街の各店舗もいつも以上に気合をいれて皆さんをお待ちしていますよ!

【駿府歴史スタンプラリー】
 ●浅間通りの1番街から5番街、それぞれに置かれた駿府ゆかりの人物等のスタンプ5つを全部集めると、先着○名に記念品をプレゼント!
   参加方法など、くわしくは、当日本部等で配布するプログラムをご覧ください。

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◎山田長政と浅間通り

【その出生とタイへの渡航】
 山田仁左衛門長政は、天正十八年(1590)頃、駿府の馬場町(いまの浅間通り)に生まれた。父は紺屋津国屋の二代目九左衛門、母は藁科富厚里の出身であったと伝えられている。
 慶長十七年(1612)頃、長政は駿府の商人滝佐右衛門・太田治右衛門が船主の貿易船に便乗してシャム(=タイ)に渡った。
 長政が渡航した頃のシャムは、アユタヤに国都を置くアユタヤ王朝の時代だった。アユタヤは東南アジア交易網の重要な拠点として物産を集積・供給するだけではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ海路貿易の中継地だった。長政はここで日本人町の頭領をつとめた。また、ソングタム王の信認をうけて王室付きの日本人護衛兵の長となって活躍し、数々の武勲をうちたてた。

【タイでの活躍】
 山田長政は戦前の日本においては武勇伝ばかりが強調されていたが、長政の本領は武人の功績よりも、国際的な貿易商としての手腕にある。東西各国の仲買人たちが入り乱れてしのぎをけずる国際都市アユタヤで、長政は熾烈な経済戦争に勝ち続ける。日タイの貿易はもちろん、マラッカ(マレーシア)やバタビア(インドネシア)などにも商船を送り盛んに交易を行った。
長政はアユタヤを拠点とする貿易を一手に引き受け、その勢いは、世界最大の海運交易企業の東インド会社を相手に一歩も譲らず、同社のアユタヤ支社を閉鎖させてしまうほどだった。
 寛永三年(1626)、長政は「オークプラ」という正規の官位をアユタヤ王室から与えられた。寛永五年(1628)には、ついに最上位の官位であるオークヤー・セーナピモックにまで昇進し、以後長政はタイの歴史ではこの官位名で記憶されている。
 長政は祈願成就を記念して、故郷駿府の浅間神社に『戦艦図絵馬』を奉納した。絵馬の原図は天明八年(1788)の火災で消失したが、駿府勤番榊原長俊が模写した図が残されている。

【六昆王に、そして悲運の最期】
 寛永六年(1929)、タイの使節団が三代将軍徳川家光に謁見し、日本とタイの国交が樹立する。その仲介役をつとめたのが山田長政だった。長政の尽力で日タイ両国の交流はますます盛んになるが、この頃から長政の人生は不穏な方向へと大きく転回する。この年ソングタム王の崩御によって王室内に王位継承をめぐる抗争が起き、長政も否応なしにまきこまれるのである。
 様々な政治的かけひきが王室内で続く中、長政は、当時内乱状態にあったリゴール(六昆、現在のタイ南部、ナコン・シータマラート)の平定を命じられる。日本人義勇軍二千人を率いた長政は見事に争乱を鎮め、六昆王(リゴール国王)に任ぜられた。小国といえども長政は一国の「王」となったのである。
 しかしそれも束の間、長政は戦闘で足に受けた傷が悪化して、波瀾万丈の生涯を閉じた。何者かが傷に毒を塗ったのだとも言われている。寛永七年(1630)、長政は四十歳だった。
 故国日本にもアユタヤにも戻ることなく、山田長政は異国の土となった。270年後、ナコンには長政を追悼する記念碑がたち、「ナガマサ・ストリート」と呼ばれる通りがいまもある。

(文責:あべの古書店主 鈴木大治)
 
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◎日タイ修交120周年
 今年、2007年は、1887年に日タイ修好宣言が調印されてからちょうど120年の記念の年。日本とタイの各地で、これを記念するイベントが行われているようです。
 長政まつりも「日タイ修好120周年記念事業」のひとつとして、この記念すべき年を盛大に盛り上げていきたいと思います。
 昨年も「タイ王国プミポン国王陛下御在位60周年」を記念して設置された記帳所・タイ王国紹介ブースが、今年も「日タイ修交120周年」を記念して浅間通りに登場する予定です。
 皆さんも、このまつりに参加して、タイをより身近に感じてみてください!

   在日本タイ王国大使館の日タイ修交120周年記念ホームページ
   外務省の日タイ修交120周年記念ホームページ

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◎《同時開催》国際交流フェスティバル
 昨年から、長政まつりとジョイントで開催されている静岡市国際交流協会が主催する「国際交流フェスティバル」。今年は第4回目として、昨年同様浅間通りにて、長政まつりと合わせて開催されます。
 今年は、浅間神社寄りの1番街・2番街にて、静岡に住む世界各国の人たちによるパフォーマンス・展示が行われます。

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 ©浅間通り商店街振興組合+長政まつり実行委員会 2007